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高田瞽女・杉本シズさん

越後瞽女といってもひととおりではありません。

大きくわけて「長岡瞽女」「高田瞽女」

師匠の小林ハルさんは長岡瞽女でした。
高田の瞽女唄を伝授してくださったもう一人の師・・・それが杉本シズさんです。

「長岡瞽女」と双璧を成す「高田瞽女」私は小林ハルさんに弟子入りしたときから、「高田のうたもやってみたい」とずっと考えていました。
小林ハルさんがお住まいだった胎内やすらぎの家には高田ごぜの最後のお一人、杉本シズさんもおられたのです。

杉本シズさんから教えを受ける事はなかなか実現しませんでした。

理由は

一つ目は「小林ハルさんに弟子入りしたのに、ほかの人からも習いたいというのはハルさんに失礼なのではないか」という私の思い。

二つ目は、私自身の能力的な問題。ハルさんから教えていただくものも満足にできないのに無理なのではないか・・・

三つ目は、杉本シズさんの御意思。シズさんは「もう教えるのなんていやだ。唄うのはいいけれど、録音なんかしないでね」とおっしゃっていたのです。

写真は初めて杉本シズさんにお会いした日。

ハルさんのもとでのお稽古に少しずつ形ができはじめたころのことです。
ハルさんが

「おまえはこれだけ歌えるようになったんだからシズのうたも覚えておけ。
おまえがやらんでいるとシズの唄はなくなってしまうぞ」
「シズには俺(自分)が言うてやる.お前ももういっぺん頼んでみろ」・・といってくださったのです。

はじめはしぶっていたシズさんですが、回を重ねるうちに「そこはもっとこういうふうに・・」「次はあの唄覚えるといいよいい唄なんだよ」
などといってくださるようになりました

「あんたの唄きいてるとおかあさん(シズさんの師匠、杉本キクイさんのこと)のこと思い出す・・」と涙ぐんでおられたことも何度かありました

そのような場面を思い出すたび、

「ごぜうたはごぜさんたちのもの。お手軽な形だけの唄にしてしまってはならない。
ごぜさんの精神性が垣間見えるような唄でなくてはならない」・・との思いを深く持ちます
 

 

写真右がシズさん、左がハルさんです。

写真右がシズさん、左がハルさんです。

 

杉本家のお墓

 

杉本家のお墓

光明寺さまのご住職さまは大変暖かくもてなしてくださり、
宗派も地区も異なっているにもかかわらず、
杉本さんのお墓をともに探し道案内までしてくださいました。

善念寺です(位牌とは別の寺にあったため尋ねあてられずにいました)

荒れ果てているのではないかと案じていましたが、そんなことはありませんでした。

お経を上げていただいたお坊様におききしたところ
「市川さんという方が時々お見えになる」とのことでした。

市川信夫さん・・お父様の代からずっと杉本家と親しく、
シズさんをも見守り続けてくださった方。

2007年に公開された映画「ふみ子の海」の原作者でもいらっしゃいます。

 

杉本シズさん追悼公演 上越市光明寺(2007年8月6日)

講演会や美術館の催しなどで「長岡と高田のごぜうたの違いを学ぶ・ききくらべる・・」
あるいは小林ハルさんの唄を聞いていただいた後で、ほんの少しだけ高田の唄をご紹介する・・そのような機会は何度もありましたが、高田ごぜうたのふるさと上越市で地元のお集まりによせていただいたのはこれが初めてでした。
メインの演目は「山椒大夫」・・長岡の(ハルさんの)レパートリーにはないお話、独特のセリフ部分がはいります。
またすぐ近くにこの段ものの舞台である直江津港、そして安寿と厨子王の供養塔があります。まさに「ご当地もの」の演目です。

意外にもごぜうたは初めて、という方も多く、好評いただきましたまた次回を、とのお声を嬉しく思っています。

杉本シズさんは平成12年7月18日84歳でお亡くなりになられました。
師と弟子、というにはあまりにも短く、はかないお付き合いでしたが、
「高田の唄、唄ってちょうだいねえ、私はもういかれないから、高田へ行ってちょうだいねえ」・・といっておられたシズさんを偲びつつ、大事に唄ってゆくつもりです。

 

杉本シズさん追悼公演 上越市光明寺(2007年8月6日)

 

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