越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子 

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津軽三味線のこと・越後瞽女唄と津軽三味線・ごぜの写真とゆかりの地

 

瞽女唄の底に流れる大切なテーマ・先人の暮らしや信仰・・・・

人知れず瞽女に心を寄せ記録に残してくださった方々・・・

 

ごぜの写真と、瞽女やその演目ゆかりの地をご紹介します

 

 

 
  垣見壮一さん  撮影の写真
新潟県郷土芸能・高柳町・ごぜの写真・越後瞽女唄と津軽三味線・萱森直子
葛の葉・安倍晴明・越後瞽女唄と津軽三味線・萱森直子・ごぜうた公演
 
 昭和44年 高柳町にて撮影  

新潟県小須戸での公演に際しいただいた写真です 

「ごぜ唄公演の記録」のページにももう1枚をご紹介しています)

これらの写真を見ると、ごぜさんたちにも迎える側にも一般に思われがちな悲壮感のようなものは感じられずむしろ楽しそうな日常のひとこまといった感じがします

 お仕事の途中で偶然出会っての撮影だそうです   ごぜさんの名前はわかりません  手引きは晴眼の方のようです

 

葛の葉・安倍晴明・越後瞽女唄と津軽三味線・萱森直子・ごぜうた公演記録・大阪 

 

  写真家高橋孝一さん 撮影
 瞽女写真集・写真家高橋孝一さん・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子

2009年9月写真展で唄わせていただきました      

1974~75  中静ミサオさん 金子セキさん 手引きの関谷ハナさんの旅姿を撮影したその数は数え切れないほどだそうです   

それらの写真からは、足音や雨合羽に風が当たる音などが本当に聞こえてくるようでした 額装も御自分でなさったとのことです

会場には撮影と同時に記録なさった会話や真室川音頭などの貴重な録音を流してくださりすばらしい写真展でした

左は写真集 「アジアの体熱」 の表紙(中静ミサヲさん)

          高橋孝一さんの写真ブログはこちら                    

 

 

 
  小田節子さん  提供の写真
 「資料とお稽古」 のページに「阿賀北瞽女と瞽女唄集」という本を紹介しています

小田さんはこの資料本を作成したスタッフのお一人です (旧姓橋本節子さん)

その録音風景が右写真。昭和49年前後.。        奥で三味線を構えているのが小林ハルさん、隣は土田ミスさん 大学生だったという小田さんの姿も左に写っています 

大きなリール式の録音機・・・文句の書き取りにも長期休暇のたびに膨大な時間を費やしたとのこと、当時の苦労がしのばれます 

小田さんは現在中学校の音楽教師をなさっておられます 2009年、いろいろな方面からのご縁が重なってこの学校の文化祭で生徒さんたちにごぜうたを聞いていただくことができました

実は私の長女長男も中学時代小田先生にお世話になっていたのですが、この事実をこのときまで知りませんでした  不思議な偶然という感じがします

ご提供いただいた、録音当時の小林ハルさん、中村キクノさん、土田ミスさんの写真を次に紹介します

越後瞽女唄と津軽三味線・萱森直子・ごぜうた録音 

 

下・左が   中村キクノさん  既に瞽女をやめ家庭に入り穏やかに暮らしておられたのをお願いして唄っていただいたとのこと

右が 土田ミスさん 一時期林ハルさんの弟子分として一緒に商売をしていた瞽女さん  私のレパートリーにもハルさんに「ミスの口説きにいいのがあったから覚えておけ 録音があるはずだ」と言われて習得したものがあります  この写真のときの取り組みがあったからこそ唄える唄です

新潟県郷土芸能・ごぜの写真・中村キクノさん・越後瞽女唄と津軽三味線・萱森直子
 

越後瞽女唄と津軽三味線・萱森直子・ごぜうた・瞽女の写真・土田ミスさん

 

下・左が   小林ハルさん  

歌声と共に姿も記録しておこうと、かつての旅姿を再現して歩いてもらったのが右の写真 場所は新潟県新発田市  トップページの最初に使わせていただいているのもそのときの写真です

 

新潟県郷土芸能・ごぜの写真・越後瞽女唄と津軽三味線・萱森直子・小林ハルさん

越後瞽女唄と津軽三味線・萱森直子・ごぜうた・瞽女の写真・瞽女の旅姿

 

  捧武さん 撮影
 瞽女写真・捧武さん・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子

新潟県田上町での公演に際しいただいたものです

昭和30年代初めに200枚ほども撮影したという中の1枚です  この写真が入っている写真集「田園の微笑」 は林忠彦賞を受賞されています アマチュア写真界ではとても権威のある賞だそうです

手元には大きいパネルをいただいているのですがここでは小さいのが残念です

雪の降りしきる中、門付けをするごぜさん達の姿と共に、風が吹き抜けているであろう縁側にまで出て姿勢をあらためて聞いているこの家の人たちの様子が印象的です

 
 出雲崎と新潟を結ぶ道沿いに 師匠と同じ名前のごぜさん  

                                            お春さんの碑      があります

2009年初夏の出雲崎公演の折、念願かなって訪れることができました

地元のNPO法人ねっとわーくさぷらいの方が掃除をしてお線香も用意してくださりお花も供えられていました

昭和22年にこの地で行き倒れてなくなったお春さん唄がうまく人柄もよく町の人気者だったといいます

お話の中の遠い人、という感じでいましたが実際にこの地に立ち道を挟んで広がる日本海からの風にふかれていると、「瞽女」として生きた一人の女性の面影が身近に感じられます

ごぜうたを形だけの軽い芸にしてはならない      この地に生きた人たちのさまざまが見えてくるような唄を唄いたい・・・・

自分には荷が重過ぎると感じることさえあるこの思いですが、妻入り会館での演奏にお春さんが得意だったという鴨緑江節もうたいました              「お春さん喜んでいますよ」との言葉をいただき嬉しく思いました

2009年12月13日新潟日報の連載記事「碑は語る」でお春さんの碑が大きくとりあげられ、お春さんを覚えている地元の方々のお話と共に私の思いなども紹介されました

出雲崎にはお春さんを覚えている方がたくさんいらっしゃいます  私のプライベートレーベルCDをきいてくださった方からのお手紙の一部を「CDのご案内」のページでご紹介しています                  

お春ごぜさん・越後瞽女唄と津軽三味線・萱森直子・ごぜうた公演記録・出雲崎
 
安倍晴明神社(大阪市阿倍野区)  

陰陽師・安倍晴明 は祭文松坂 「葛の葉」 で狐の正体を明かして去ってゆ く母・葛の葉の最愛の息子「童子丸」 の成長した姿です 

 

ごぜうた大阪公演・安倍晴明・葛の葉・越後瞽女唄と津軽三味線・萱森直子
葛の葉・安倍晴明・越後瞽女唄と津軽三味線・萱森直子・ごぜうた公演
 
 2009年3月大阪蒼龍寺での公演後訪れました

細い路地に面した広くはない境内の一角に        「安倍晴明誕生の地」のたてふだがたっていました

この他狐が身を翻している像や晴明が産湯を使ったとされる水場なども。

数あるごぜうたの中でも人気の高い演目、祭文松坂「葛の葉」全4段のうち、前半はまさしくこの場所が舞台となっています  狐が人間との間に子を成す・・おとぎばなしのような世界が現実にたちあらわれたような不思議なひとときでした

物語の後半の舞台は「信太の森」               和泉市には「葛の葉稲荷神社」があります         また名前に葛の葉はついていませんが「聖神社」へいってごらんなさいと公演をきいてくださった地元の方に教えていただきました

このときは時間がありませんでしたがいつか行って見たいと思っています

葛の葉・安倍晴明・越後瞽女唄と津軽三味線・萱森直子・ごぜうた公演記録・大阪

 

 安寿厨子王の供養塔 ・・・ 祭文松坂 「山椒大夫」

安寿厨子王の供養塔・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子

安寿厨子王の供養塔・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子

 
 「山椒大夫」は杉本シズさん(高田)から教えていただいた段もの(物語唄)のひとつで、全2段   

独特のセリフが入り聞かせどころとなっています  2007年放送の「新日本紀行ふたたび」で私が唄っているのがこれです 

人買いにだまされて佐渡と丹後とに別れつれてゆかれる母子の悲劇の物語は森鴎外の小説でもよく知られています また佐渡をはじめ新潟県内にはさまざまな伝説が残されていますが、小林ハルさん(長岡)のレパートリーにはありません

高田瞽女の地元上越市、直江津港のすぐ近くにたっていました  この場所から右手をみると海、そのむこうに佐渡島・・まさしく「山椒大夫」の舞台です

 

 

 

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