越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子 

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ごぜ唄と 萱森直子の活動を より深く知っていただくためのページです

 

 

 

 新潟県曹洞宗青年会会報 「海潮音」 に寄稿させていただきました ご紹介します
曹洞宗青年会報「海潮音」・「瞽女唄は心のふるさと」・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子  


 

 

 手遊び唄のこと  入院生活のこと  小林ハルさんの数え歌のこと  
            

            一番はじめの 一の宮
            二また 日光東照宮
            三に 佐倉の宗五郎  (讃岐の金比羅さん)
            四には 信濃の善光寺  
            五つ 出雲のおおやしろ
            六つ 村々鎮守様
            七つ 成田の不動さん  
            八つ 八幡の八幡宮
            九つ 高野の高野山 (弘法様)
            十に 東京本願寺 (浅草寺)

 

2008年11月末から2009年にかけての入院、療養では 突然のことでもあり 多方面に大きなご迷惑をおかけしてしまったにもかかわらず 多くの方から暖かい励まし、お見舞いをいただき 本当にありがとうございました


自分がやっていること、やろうとしていることの意義を認めて大事に思ってくださる方たちがいてくださる、ということが、唄えない毎日の支えでした


長い入院生活でしたので病室や図書室で患者仲間さんたちや職員の方と親しくなり、他では得られない素敵な時間 (互いの病気さえなければ、そして仕事や家庭のことを考えなければ、ですが) をすごしました



唄わないですごす、という日を経験したことがあまりなかったので入院中はうたいたくてたまりませんでした


毎晩寝る前に「今日のうた」を胸のなかでくちずさんでいました

       窓の外が吹雪いている日ならば 「嵐」 が文句にでてくる唄

       お見舞いにお花をいただいた日は 「花くらべ」 や 「花尽くし」 のうた

       正月は外泊許可がでるかなあ、と話題になった日は
                             正月から十二月までを並べる 「おいとこ」 

       おもちがたべたいね、と話した日には 「もち尽くし」

       亡くなったご主人のお話を聞いた日には
                            「うちの父ちゃん」 が登場する戯れ歌・・・・



本当にごぜうたにはいろんなうたがあるのです

少し体調がよくなってからは短いうたを同室の方たちに聞いていただいたりもしました


そういえば師匠の小林ハルさんも入院したときに看護師さんたちに唄をうたってきいてもらっておられました

「ひとつとせ 人も知ったる大阪の ところは難波の病院で    あ~なさけなや」
                               で始まり 十とせ まである数え歌です


私にも教えてください、といったところ 

「こんなものまで覚える気か おまえみたいな唄バカはみたことがない」・・と笑いながら教えてくださいました 

記録には2002年6月に習った、とあります


文句が病院ぐらしの身にはとてもおもしろく、同室の皆さんと笑いあっているうち 上に記したお手玉のかぞえうたが 誰からともなく出てきたのです

「三に」 に出てくる 
「佐倉宗五郎」 はごぜうたの祭文松坂の演目のひとつです

遊び歌にも出てくるほどになじまれていたお話だったのか、と 嬉しくなりました


人によって少しずつ言葉が違ったりするのもこのような歌ならではのことで、ごぜうたと似ていますね 



60代の方も、80代の方も知っていました 私の母、義母もしっていましたが、だれにきいても出てこない不明の部分があり、このホームページ上でもお問い合わせをしていたのですが・・・

なんと、ごぜうたのお稽古にきていらっしゃる若い方からおしえてもらうことができました  テープもあり、きいてみたところ病院で皆さんと唄った唄と同じメロディでした  さらに、このうたにはまだ続きがあることがわかりました  細部は変化形がありますが、次に記します

             これまで心願かけたなら
            浪子の病気も治るだろう
            ごうごうごうと鳴る汽車は
            武男と浪子の別列車  
            2度と会えない汽車の窓
            ないて血を吐くほととぎす
            

徳富蘆花の「不如帰」に題材をとったものであることがわかります 「不如帰」は明治31年~32年の作品ということですから、その後劇や映画などで流行した中で全国に広まったのでしょう  その前半部分だけが生きて、つい最近まで唄われていたのですね                 母によると年をとってから同年輩の方たちとの旅行中にもバスの中で歌ったことがある、と。

たあいのない手遊び歌ですが、歌の中に母や、義母、病院で共に過ごしたかたたちの幼いころがうかびあがります

下に紹介していますが、私は保育園のこどもたちと毎年ごぜうたをうたっています  歌い手を育てる、ということでなく、こどもたちに自分の生まれ育った土地で古くから親しまれてきた文句やメロディになじんでもらいたいのです

それは、自分の中に、親や祖父母、そのまた親・・・・多くの人の存在を感じることにつながる・・それがきっと子供達の生きる力につながる・・・そんな風に考えています  この手遊び唄を通じて、その思いをまた強くしました

 

前述の小林ハルさんの数え歌についてお問い合わせがありましたので、ここに記しておきます

        ひとつとせ 人も知ったる大阪の ところは難波の病院で 

        ふたつとせ 二親揃うてありながら おそばで看病ができぬとは

        みっつとせ 見れば見るほどよい女子 卵へ目鼻をつけたよら

        よっつとせ よもよこんなに長いとは 思いもよらない病院じゃ

        いつつとせ いつの検査にでてみても 全快する日のさらにない

        むっつとせ 無理な養生させられて 朝の六時に帰される

        ななつとせ 何があるかとみてみれば せけんどのお小屋がどさどさら

        やっつとせ 病いこんなに重くても それでも笑いがありましょか

        ここのつとせ ここで死んだらどこ行こば 極楽浄土の真ん中に

        とおとせ   十にもなったらそらおよみ わが子と知れたら何殺そ

           

小林ハルさんはこのうたをご自分のお母さんから教えてもらったのだとお聞きしました      眼の見えない子を思ってハルさんを厳しく育てたというその人のことを思わずにはいられません

小林ハルさんからはこのほかにも 6種類の子守唄、手遊び唄を習いました            とてもコミカルで覚えやすいものや、物語風になっているものもあります  公演でお話のついでにうたうこともあります  ごぜうたの演目として習ったうたと同様、私の宝物です



1ヶ月あまりを共にすごした同室のSさんの家のお母さん(お嫁さん)は なんと、師匠・小林ハルさんご本人をとめた瞽女宿のご出身でした

場所は旧・白根市の真木新田

「楽しそうに唄っていたのを覚えている」とのお話などおききして、在りし日の師匠の笑顔など思い出しました

 

 

 

 2006・8月6,7日 喜多方発21世紀シアター 終了しました
座敷蔵や工房など、一味違う雰囲気の中での演奏でした。

写真は島三家庭園でのデモンストレーション
  大きな栗の木の木陰で。

両日とも大変暑い日でしたが、
     2日連続で聞いてくださった方、
     小林ハルさんについての本をご持参の方、
     昔のごぜさんの思い出話をしてくださった方、
     初めて知った世界だと涙するかた・・・


大変ありがたく、勇気付けられて帰ってきました。
    
 喜多方発21世紀シアター・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子

 

 2006・6・13 新潟市中央公民館いきいきセミナー  ご感想
新潟市中央公民館いきいきセミナー・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子


荒さと単調、余白の多い芸・・ごぜうたの伝承者として誠実に唄う姿に感動しました。「梅のくどき」はまた粋でなんとも言いがたい語りでした

あなたを通じ小林ハルさんの修行のきびしさが伝わりました

初めての瞽女唄、こんなにすばらしいものとは思わなかった。本当に素晴らしい!

現在、宗家、本家といわれている伝統芸能が庶民のものでなくなったようです。瞽女唄は庶民の娯楽であると思います

瞽女唄をこんなに身近に感じたのは初めてです。語り継いでいく人を得た小林ハルさんの幸運を思いました

目をつむってききました。しみじみと心にしみいるお話しであっという間でした

今日の話で、本当の瞽女唄を知った、と思いました

後進の指導をぜひお願いします

今の世の中の荒廃した状態を昔の状態に戻すためにも、ぜひごぜうたを広めていただきたい

生の唄のパワーで熱くなりました

やみつきになりそうです。声の美しさにききほれました

初めて聞くのになぜか懐かしい、胸にしみこむうた声。

真正面からぶつかるその力強さ、荒々しさの根源を初めて知りました

 

2006・1月24日 師匠小林ハルさん追悼演奏をおこないました
師匠に対する自分の気持ちを飾らずにまっすぐに唄わせて頂ける場所で、と考えた末、他からのお誘いはお断りさせていただき、ささやかな追悼演奏を2回計画しました。

1回目がこの日。胎内やすらぎの家(ハルさんがお住まいだった施設)
2回目が4月23日。石水亭です

この日は、ハルさんのお誕生日に当たる日でした。

私が初めてハルさんを見たのもこの場所、また初めて人の前で唄ったのもこの場所でした。

その時はハルさんが隣にいてくださり、唄い出しをうたってくださったのでした。お稽古にこの場所を使わせていただいた事もあります。

さまざまな事を思い出し、お元気なころの師匠を身近に感じながらの演奏でした。

入所の方、職員の方、楽しんでくださいました。

師匠小林ハルさん追悼演奏・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子

 

 
演奏終了後、テレビ、新聞などの取材・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子


演奏終了後、テレビ、新聞などの取材をうけました。

師匠が亡くなられてしばらくは取り乱して過ごしましたが、今は決意を新たにしています。

90歳を超えたハルさんが熱意をもって私に伝えてくださったのは何のためだったのか、それを無駄にしてはならないと思っています。

 

 2006年 特別養護老人ホーム「はまゆう」での《ごぜうたの会》をご紹介します
 特別養護老人ホーム「はまゆう」での《ごぜうたの会》・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子
特別養護老人ホーム「はまゆう」での《ごぜうたの会》・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子

 

 
毎年となりにある愛慈保育園のきりんぐみの子供たちと訪問しています。

施設の方たちは恒例行事として楽しみにしてくださっておられ、この日も子供たちが登場しただけでその場の雰囲気がぱっと明るくなりました。

子供たちとの唄は「瞽女万歳」 

日ごろから「おじいちゃんおばあちゃんに楽しんでもらおうね!」と先生がたと言葉を交わしていた優しい子供たち。
しっかりと入居者の方々の顔をみながらのあたたかい唄でした。

入所者の方々から1本ずつ花をいただき、握手をかわした子供たちのうれしそうな顔、そして高齢者の方たちの幸せそうなご様子・・・

唄が人と人をつないでいることに喜びをかんじます。

子供たちが退場したあとは萱森の「祭文松坂」を聞いていただきました。

長く入所していらっしゃる方も少なくないので、毎年違う演目になるようにこころがけています。

この日は『石堂丸・一の段』を「長岡瞽女屋の節回し」でうたいました


 

 

Q. 瞽女唄と津軽三味線、どちらを先に始めたのですか?
  A. 津軽三味線です。
   
     教室を始めて十年程たったころから、津軽三味線というジャンルがどんどん洗練された  派手な都会的なものになってゆくことにジレンマを感じていました。

   練習すればするほど、自分がこの芸に感じていた一番の魅力・・・・土くささや生活のに     おい、精神性に裏付けられた圧倒的な存在感・・・・そうしたものが失われていく気がしたのです。

     そんな時に小林ハルさんの瞽女唄と出会いました。

     ふるさとのにおい、初めて聞くのになぜか感じるなつかしさ・・・・。

     手っ取り早い効果を求めがちな今の時代や、「芸術」という言葉に汚されていないものが  ここにあった!
     そう思いました

     瞽女唄と出会い、私の津軽三味線も変わりました。
    より高度な完璧なものをめざすことから、人を癒すことのできるゆったりとした心地よさへ。

     それが私のめざす音楽です。

 

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