越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子 

瞽女宿(ごぜやど)・越後瞽女唄と津軽三味線

 

ごぜの旅の宿となり近在の人の集まる交流の場ともなっていた瞽女宿



今まで多くの「わがやは瞽女宿だった」という方に出会いました
記録に残してこなかったことが悔やまれます

2008年「新日本紀行ふたたび」出演をきっかけに

ごぜの旅を支えてくださった「かつての瞽女宿」を
このページにかきこんでいこうと思い立ちました

 

 

 

 山形県 東置賜郡 土礼味(どれみ)庵

山形県置賜地方土礼味庵・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子

山形県置賜・土礼味庵・ごぜうた公演・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子

 

 
山形県置賜は越後から米沢への通り道。 山形は瞽女をあたたかく遇してくださる土地だったため多くの瞽女さんが足跡を残しました 

「百人泊め」 という言葉まで残っているほどです

師匠・小林ハルさんもたびたび訪れており 「商売になるのは新潟、いい旅さしてもらうのは米沢行き」 と言っておられました

ここ、土礼味庵は、390年の歴史を持つ建物です 

解体されてしまうのを惜しんだ現オーナーの片倉さんが私費を投じて譲り受け地域の皆さんのふれあいの場として使われています  

改修には片倉さんの奥様のご実家が取り壊されたときに廃材として捨てるにしのびなかった建具などが使われているそうです

土に感謝というその名どおり、この土地に生きてきた人たちの暮らしが見えてくるような空間です

遺跡として保存したいのではなく暮らしの中で使ってもらいたい という片倉さんの思いは、ごぜうたに対する私の気持ちとそっくり重なります

 

上、右の写真は初めてご縁をいただいたときのものです

この写真の奥、白い壁の前で唄わせていただいたのですが、ちょうどこの場所で、50年ほどの昔にゴゼさんが唄っていたということです

ここでの演奏は昔のごぜさんを知る人も多く、 「今年も楽しかったよ」  「また来年この話の続きをきかせてくださいね」・・と、昔の瞽女宿の姿がうかびあがるようです      

ことに2009年6月の公演は忘れられないものとなりました

この屋敷のもとの持ち主のかたがきてくださりお話をお伺いすることができたのです  

 

 

 
 山形・東置賜・瞽女宿・加藤さん・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子 27代目という加藤友市さん(左)と、この家から他家へ出た加藤さんのおじさんです 

お二人ともこの家に瞽女が訪れたときのことをよく覚えておられました

また覚えていないと思っていた唄も、あなたの唄を聞いているうちによみがえってきた、記憶とは不思議なものだと、いろいろなお話を聞かせてくださいました

 

瞽女さまは皆が集まるとすぐに,まず旅の途中の村の話や天気や農作物のことなどのニュースを話してくれそれを長老達が非常に楽しみにして待っていたということ

その瞽女さまは一見してこの村の人たちとは違い、声が太くしわがれ声で、威張った話し方はしないのにただ者ではないような風格のある人だったこと 

その人の声が聞こえたとたんにまるでその場に花が咲いたような感じだったということ

その人の歌声は後ろ頭の首のあたりが痛くなるほどの力強さだったということ

そしてこの土地で「さま」をつけて呼ぶのは「お寺さま」   「大工さま」 「屋根葺きさま」 と 「瞽女さま」だけだと。

 

 
その頃は今玄関になっているところに馬が3頭飼われていたことなど、当時の家の有様も教えてくださいました  私が生まれた頃のことです

 

この家にはたくさんの古文書が保管されていました

加藤さんのおじさんは終戦後復員されてから、学校の先生が足りない状況をうけて地域の子供達を集めて教えていたという方で、これらの古文書をつぶさに解読し研究なさっておられます

この家にとどまらず、郷土の歴史、越後との関わりなどにとても詳しくいろいろ教えていただきました

生まれた子供を殺してしまう「間引き」を禁止するお触れがお上からくだされたことなど、数々の古文書をめくりながらのお話は本当にいつまで聞いていても飽きませんでした

瞽女宿・山形県置賜・f越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子

 

 
 山形・東置賜・瞽女宿・加藤さん/つのまき・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子  そしてもう一人、やはりこの家から他家へ嫁に出た方もきてくださいました

手作りのおいしいおみやげをいただきました                                     「笹巻き」 と 「つのまき」 です

「笹巻き」 は新潟では「チマキ」といいますがそれよりも小ぶりできっちりとまかれています 

「つのまき」は新潟の「笹団子」と形はそっくりですが中身は全然違うものでした

いずれも大変に手間のかかったものであることがわかります  

前の年も聞きに来てくださったのだそうです  それから1年忘れずにいてくださって、この日のために作ってくださったのです

かつての瞽女さまもおそらくはこの味をかみしめたのではないか、そのことに思いをはせつつ、片倉さんからいただいた見事なサクランボとともに、家族で、またお稽古に来てくださっている方たちと味わいました

 

この日この家でもうひとつの瞽女宿の方たちとおあいすることができました  平賀さんです

 

山形県 東置賜郡 川西町黒川  平賀さん宅
山形県置賜・瞽女宿平賀さん・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子  

 

 
上の写真は昭和52年に農村文化研究所から発行された機関紙の表紙に掲載されていたものです   

土礼味庵のオーナー片倉さんが探し出してくださいました   撮影した小貫幸太郎さんはすでに亡くなられているそうです   撮影は昭和48年

ここに写っている瞽女さんにも師匠・小林ハルさんと同じような力強さ、品格を感じます  心引かれる写真です

 

写真の中央、後ろに小学生くらいの女の子が写っています

この方が、この日 土礼味庵の瞽女唄の会に来てくださったのです   

 

 

 
 山形・東置賜・瞽女宿・平賀さん/つのまき・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子 終演後に撮らせていただいたこの写真  左側がその方平賀さんです

今も上の写真の家に住んでいらっしゃいます

右側はおばさん。 この方も瞽女さまのことを覚えておいででした

お二人とも30年も昔のこのような写真が残されていたことを今まで知らなかったとのことです

お二人の記憶によるとここに写っている瞽女さまの名前は サキさん か タキさん もしくは タケさん

 

ウサギの足のような形のもの (ブラシでしょうか)で 化粧をするのがおもしろくて見ていたら   「あんたにもしてやろうか」 といって頬におしろいをつけてくれた、と。

そのときのくすぐったい嬉しい気持ちがわかるような気がしますね

ごぜさまが到着するとすぐに次の宿となるお家に「今日うちに来たからそちらへ着くのは何日ごろですよ」という便りを5〜6軒にむけて出したのだそうです

そんなふうにして地域ぐるみで瞽女さんの旅を支えていたのです

お会いできたことを本当に嬉しく思いました

 

この日持ってきてくださった花束は翌日の会場         ライブスペースジャムのホール入り口を彩りました

 

加藤さん、平賀さん、また唄を聞いてくださった方たちと語らって後、外へ出ると満点の星空・・・

そして星と見まがうようなホタルの光が舞っていました

このたびの山形(3回公演)ではこのほかもう一人 瞽女宿で育った方が聞きに来てくださり、それから 師匠小林ハルさんを記憶に残している方の書いた文章も紹介していただきました

その方たちともいつかじっくりお話しする機会がもてれば・・・・と考えています

 

 

 
 介護事業所  コミュニティサービスきずな (新潟県五泉市)
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5年前に唄わせていただいた別の施設にお勤めだった渋木春枝さんが、ご自分で始めた施設にお招きくださいました

この町では何度か唄を聞いていただいていますが、いつも地元の民俗研究家・駒形先生がきてくださいます このたびもわかりやすい説明をしてくださいました

 渋木さんのご実家は瞽女宿だったそうです

「母がごぜさんを断っているのを見たことがあり、本当に気の毒で今でも思い出す」と。      ごぜさんの赤い襦袢が印象的だった、とも。

心尽くしの花が生けられ職員の方々も暖かく、何度か聞いてくださっている地元の方からもおみやげなどいただき、人のご縁のありがたさを感じました

かつての「瞽女宿」が、形を変えて生きている・・・そう感じた一日でした

 

 代表渋木さんからのお手紙 (一部要約) 

川あいの小さな集落の、築200年余の旧家が取り壊されることを聞き、本物の日本建築を残したい一新で移築したのが平成4年でした

解体作業は本当に大変でしたが、大工の棟梁はその材のよさと建築技術の高さに感動しながら、一生にもう2度とできない仕事だろうと再生に力を尽くしてくれました

予算もなく家具もみんな中古かもらいもの、家族は立派過ぎる家に借りてきた猫のように小さく肩身も狭い思いで暮らしていました

この家を自分達だけのものにしていいのか、もっと社会に貢献できる方法があるのではないか、また実家の母が寝たきりだったこともあり、平成18年、小規模多機能型居宅介護事業所としてこの家を使うことになりました

3年目を向かえいまだに試行錯誤の中、使われる皆様の立場に立てる事業所でありたいと職員ともどもがんばっています

伝統文化の継承は絆の理念でもありごぜ文化を継承されようとしてご活躍の萱森さんから来ていただきたい、というのは当初からの夢でした

萱森さんが歌ってくださる様子は子供のころの瞽女宿を垣間見た記憶を思い出され目頭が熱くなりました  また皆さんからはとても喜んでいただくことができました

高齢になっておられた小林ハルさんが萱森さんに教えようとされたことも並大抵のことではなかったと思いますし、

小林ハルさんが墓にもっていくのはかまわないが私が自分の墓に持っていくことはできない」  とおっしゃる萱森さんの言葉も深いと思い、ここに本当の文化の継承があると深い感銘を覚えました

また来年、今度はもう少し幅広く呼びかけてみようと思いますので何とぞ宜しくお願いいたします

      

 

 


 新潟県上越市 渡辺茂雄さま方
新潟県上越市 渡辺茂雄さま方・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子  「新日本紀行ふたたび」がご縁でお会いすることができました
右が奥様の勝子さん 左が息子さん
渡辺茂雄さんは写真の時ちょうど子供たちの下校の見守りでおでかけになられ残念ながら写っていません

30数年もの間 高田ごぜの杉本キクイさん一行の宿をしてくださっていました

今はもうなくなられたおばあさんが道でみかけた杉本さん一行に
  「よかったらうちで泊まっていきませんか」
と声をかけたのがきっかけ、と聞かされたそうです

そういう方だったので、瞽女に限らず三条の金物売りなどの行商人など、年中だれかが家に居たのだそうです

 
子供だった息子さんが学校から帰ると、家人は誰も居なくても瞽女さんたちがいて、畑にいるお母さんのところに「ごぜさんが来たよ」と走って知らせに行ったそうです
「そろそろ来るころだと思っていたよ」と・・ごく自然な日常的なことだったのですね

  「ごぜさんが来なくなってから寂しくて、会いたくなって年寄りを車に乗せて高田の町の杉本さんたちの住まいまでたずねていったことが何回もある」

  「ごぜさんのうたが大好きで、くるとそばから離れなかった おもちゃの三味線を作ってもらってまねをして遊んでいた」

  「ごぜさんが来るとまず風呂の準備をした 疲れてきなさるんだから、と。(今のような便利な風呂はなく 水を汲んで浴槽に満たすところから)

本当にあたたかいご家族でした
杉本シズさんがなつかしそうに旅のおもいでをくりかえしお話なさっていたことが思い出されました  



 

 新潟県十日町市 洞泉寺
新潟県十日町市 洞泉寺・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子  「新日本紀行ふたたび」でお邪魔しました

「山椒大夫」「佐渡おけさ」などをきいていただき、昔のお話など楽しく語らった後の記念写真

拙い唄なのに本当になつかしみ喜んでくださってありがたく思いました そのようすは番組で放送され多くの感動を呼びました

この中のお一人のおうちが杉本キクイさん、シズさんを泊めてくださっていました

手引きのコトミさんはまた別のおたくに、そして皆さんが集まって唄を楽しんだのは洞泉寺、そのようにして分担してごぜさんの旅を支えてくださっていたのです

 

 
ごぜさんが到着して荷物を出したり入れたりするのが印象に残る光景だったらしく、 
   
   「旅行にいってしきりに荷物の整理をすること」 を 「またごぜさんしてるね」 と表現するそうです

そのことを新潟市のある会合で演奏させていただいた時話しましたら、自分たちのところでは 
   
   「たてに並んで行列のように進むこと」 を 「ごぜさんする」 といったものだ、とのこと。 子供が遊ぶときなどよくつかったそうです

ただの娯楽というよりももっと生活によりそった存在だったのだなとあらためて感じました



外観の写真を撮りそびれましたが、洞泉寺はとても立派なお堂でした

積雪にたえるだけでなく、付近に大きな被害を与えた中越地震にもびくともしなかったそうです

「けして豊かな土地ではないのにこんな立派な寺をたててくださったこの土地のひとたちに感謝します」とのご住職のお話。



他の土地では早くに消えた  「ごぜ」  が新潟だけにのこっていたのはなぜだろう・・・と考えることがあります

そこに暮らす人たちの信心深さ、あたたかさ、地域のつながりの濃密さ・・・・
   
それが理由のひとつなのかもしれない・・・

そんなことを感じた旅でした





偶然ですが 洞泉寺へむかうタクシーの運転手さんのお母さんの実家も瞽女宿だったとの事
お母さんはそのことを幾分誇らしげに、楽しいことを思い起こすように話してくれたそうです

 

 

 

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