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瞽女唄をお客様に聞いていただくのに、唄う前に 「ごぜうたを歌う人の中で私が一番です」 と自己紹介したごぜうた公演があったというのです
ちょっと信じられないような話ですが。
音楽は娯楽、趣味でやっているならば何をどういってもいいのでしょうが、それは発表会とかプライベートな演奏会という場ではなかったそうです
司会や主催者がそう紹介するというのではなく演者自身で 「私が一番」 という言葉を使ったのだとのこと
しかも同時に 「小林ハル」 の名前も頻繁に使われているそうです
この事実に 強い違和感 をおぼえました 「何を基準に一番と言っているのか」 とか、 「芸の中身や質が一番と胸を張るのにふさわしいかどうか」 とか、そのようなことではありません
「私が一番」という言葉は、私の思う 「瞽女唄」 とはとうてい相いれないもののように感じるのです 師匠・小林ハルを敬愛する者からは絶対に出てこないものであると感じられるのです
「瞽女唄」に対する考え方も人それぞれ、瞽女唄を歌う人にもいろいろな人がいて当然です 否定するつもりはありません
だからこそ、自分自身が追い求めている「瞽女唄」とはどういうものなのか、自分はどのようにこの芸に向かい合っていったらよいのか・・・・それをいつもいつも考え続けています
その答えがここにある、そう感じますので、瞽女唄に興味を持ってこのホームページを開いてくださった方々にも私の瞽女唄に対する気持ちを理解していただきたく、ここに記します
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ごぜうたは「郷土の宝」 ・・・ 唄う人、習う人、聞く人、研究する人、懐かしむ人、ごぜうたを愛するみんなの力で大切に育てていかなければなりません
そんな中で お客様の前で 「私が一番」 と口に出してしまったという事実・・・ それは、もうとりかえしのつかない、非常に危険な、致命的なことのように感じられます
どんな唄が聞けるのかと楽しみに聞きにいったのに、本当に不愉快だった・・・・という声をあちらでもこちらでも聞きました
それをきいたとたんにがっくりしてしまった、 お金を返してほしくなったと表現なさった方や
いろいろなものを聞きに行ったがあんな非常識は初めてでかえって印象に残っていますよ、と笑う方も。
あるいは、 まるで子供の言うことのようですよね、と。
ご本人にはこうした声が届かないのかもしれません 「私が一番」 と言う人に 「そんなこと言うものではありませんよ、恥ずかしいことですよ」 とは 言いにくいですよね
まわりに 「あなたが一番」 という表現でほめてくれる人がいるのかもしれません
でも自分で 「私が一番」 と言う人に向かっては、多くの人は対等にディスカッションすることができません芸を育てるためには、ほめてくれる人だけではなく、自分の芸の幅を広げ 深められる刺激を与えてくれる人の存在が絶対に必要なのです
たとえば、ほめ言葉や好き嫌いとは別の次元で
芸のあり方,伝承のあり方などについて意見を交わしたり
かつての瞽女さんゆかりのことなどさまざまな情報をもたらしてくれたり
共に仕事を作り上げていく中で 世の中に今何が求められているのか、などを語らったり
他のジャンルの知識や 今まで気がつかなかった方向性を実現する手がかりをくれたり
互いの苦労、困難をわかりあって共感したり
自分とは違う切り口で この唄の魅力を表現してくれたり またそれを発信してくれたり
時には、人間って? 風土って? 歴史って?
そんな深いテーマを考えるきっかけをくれたり ・・・
私は 師匠・小林ハルさんに よく 「唄バカ」 といわれていました
ごぜうたが好きだという以外に何のとりえもなく 後ろ盾も、お金も、組織もない、ただ一人での活動です
それでも唄い続けていられるのは、 上に書いたような、そんな方たちとの 有形無形の交流に支えられているからです そういう出会いこそが演奏家にはたくさんたくさん必要なのだと感じます
気がついたらまわりにはひとにぎりのおなじみさんだけ ・・・・・ そうなってしまったら ・・・・・
そしてもうひとつ。 「私が一番」という宣言には、先人、先生や先輩、後輩、仲間達に対する感謝、配慮や共感のかけらも感じられません
そこには この芸の将来への展望 を見出すことができません
これでは本当の意味で次 につながる人や環境を育てる
ことができないのです
どんなに言葉を飾って ごぜうたはすばらしい、ごぜうたの発展を、と訴えたとしても 結局本音のところでは 後進の人たちや仲間の成長を 心強く感じ 高めあい 自分のできないことをやってくれるかも、という期待をもてないのですから
瞽女唄をてほどきした先生が聞いたらきっと悲しむのではないでしょうか あるいはお怒りになるでしょうか
先生の元へお稽古に通い続けているならば、けしてこのような恥ずかしい事実がきこえてくることはなかったのではないでしょうか ・・・ 私の元にも公演活動をしながら飛行機に乗ってお稽古に通っている人もいます 新幹線に乗ってきてくださる人も。 先生はご健在で指導もしていらっしゃり、習いに行くことは可能なのに ・・・・ 「私が一番」と言うようではもう先生も受け入れては下さらないでしょう ・・・本当に残念です
そういえば 以前 「有名になりたいから」 という理由で習いたいと言ってきた人がいました
貴重な芸能、ということで、新聞その他でとりあげていただくことも少なくありません 多くの方に知っていただくきっかけとして本当にありがたいことなのですが、その意味をとり違えて、自分は注目されている、我こそはごぜうたの救世主、そんな風に思い込んでしまう人もいるのかもしれません
時をおいて、また場所を変え手段を変えて何度も 「コンクールがあればいいのに」 とまで 発信されていることも知りました
ごぜうたに関してのたくさんの立派な発言にまぎれてはいても同じ流れから出た言葉であることがうかがえます 深い深い違和感を持たずにいられません
ことに ごぜうたは このような考え方とは対極にある芸です
完成度の高さを競うことはなく、 点数をつけられるようなものでもありません 優勝をめざすとか、そういうことが励みになるようなタイプの芸ではなく 人よりも自分が上だということを誇りにするものでもありません同じ志を持つ人が何百人もいる状況ならそういう考えも成り立つのかもしれませんが・・・
師匠・小林ハルさんが私にいつも問うたのは 「お客人は喜んでくれなさったか」 それだけです
場合によっては テクニックをかくす、というようなことさえある芸です
私は稽古の中で師匠に 「そんなふうに (上手に聞こえるように) 唄ってたら客が困るだろうが」 と言われたことがあります (鴨緑江節のお稽古でした このようなこともおいおいプライベートレーベルCDの解説に書いていくつもりですが)
瞽女唄はマイナーな芸です それなのに興味を持って習いに来てくださる方たちがいます
「カルチャーセンターでの習い事ではなく心を学びたい」 という方、 ご自身も障害を持つ方、 瞽女唄を含め目の見えない人の音楽というものに惹かれている方、 このホームページをみて瞽女唄の精神性を感じてくださった方 ・・・
ここには 「優劣をつける」 という発想が入り込む余地はありません 「私が一番」「有名になりたいから」 などと、 そんなことを言う人も一人もいません
「精進」 とか 「切磋琢磨」 などと 稽古場で仰々しく言ったことはありませんが、 そういう言葉の本当の意味を皆さんちゃんと知っています ありがたいことです 師匠、弟子、この芸を理解してくださる方たち・・・私は本当に人とのめぐり合わせに幸運なのだと思わずにいられません
私は瞽女ではありませんし上手でもありませんが 「生活と共にある唄を自然体で唄う姿に感動した」 (2009年新潟日報紙掲載記事での公演へのご感想)・・そんな言葉がいただけることを嬉しく思っています
瞽女唄は多くの名もなき先人によってここまで歌い継がれてきたものである、ということ
担い手の名誉や功名というような考えからかけ離れたものとして
伝えられてきた、ということ
そして そのことこそが この芸の魅力を形作る源である、ということ。
私が伝えたいのはそういうことなのです
詳しくここに書くことは避けますが、師匠ハルさんがまだお元気な頃、 これと同じ根を持つと思われる出来事がありました そのことを気に病んで ハルさんから繰り返し発せられた 「あってはならないことなんだ」 という言葉が 昨日のことのように思い返されます
目はお見えになりませんでしたが、何もかもが見えていらっしゃったのだと思います
そのような時ハルさんはよく 「気構えのなってない者が唄なんてうたったってろくなもんにはならん」と言っておられました
お住まいになっている施設への外からの訪問者に向かっては たとえ何があっても けして腹を立てたところや不機嫌なようすを見せないハルさんでしたが、 稽古の中ではそのような 「あってはならないこと」 に対しては、断固とした、非常に厳しい口調でした
そのようにしてハルさんに育てていただいたことを 誇りに思っています
リンクのページで月岡祐紀子さんという歌い手さんをご紹介しています
さまざまな 「あってはならないこと」 をきかされる稽古の日々の中で 、「心根(しんね)のいい子が来た」とハルさんが表現なさった、それが月岡さんでした 2009年2月の公演でご一緒することができ、ハルさんのその言葉通りの方であることを嬉しく思いました
月岡さんと私は芸のタイプも、取り組み方も違っています それでも、お互いのごぜうたに対する気持ちを疑いなく肯定しあえるのです 本当に心強く感じます 月岡さんは 唄も三味線も上手ですし努力家でもいらっしゃいます それでも、「私が一番」などとはけしていわない方です
月岡さんはハルさんの弟子というわけではありませんが、こうしたことは誰に指導を受けたかの問題ではなく その人が何を求めて瞽女唄にかかわるのかによるのだと思わざるを得ません
少々気が重いなぁ、 と感じながら 長々と書きました
この件についてのことを耳にしはじめてからかなりの月日がたちます アップするのにこれほど長くの時間を費やしたのは初めてです 聞き流しておこうかな、とも思いましたが・・
実はずっと以前からいろいろな事が耳に入ってきています 言葉は心の表れ、そしてまた心は行いに表れるものです
聞きたいと思っているわけではないのですが公演終了後のお客様との談笑や公演依頼の打ち合わせの場などで自然に話題に上るのです 皆さん 「これはいけないことだ」 と感じるからこそ私に教えてくださるのだと思います 生前の師匠から知った事柄もあります
えっ!???! と耳を疑うようなことも多いのですが、 おそらくは熱心さの現われなのだろうし、 ごぜうたに対する考え方にもいろいろあるでしょうし どんな形でもごぜうたを口にする人がいるのはよいこと・・・・ そう考えていましたが・・・・ 今もそう思ってはいますが・・・
たまたま これについて聞かされる機会が続きました
聞いた方たちの不快感を思うにつけ
瞽女唄の本質にかかわることでもあるので 人のことなのだからと聞かなかったふりをしているよりも、自分のこととして生徒さんたちとも互いに心するきっかけに、 また これからごぜうたをやってみたいなと思っている方にも考えていただきたく 自分の感じている 「違和感」を 整理してここに書きました
ごぜうたを習いたいと思っている方 大歓迎です
ただ、 お稽古に入るその前に しっかり考えてほしいのです
数えきれないほどの 名も知れぬ歌い手たちが ここまでつないできた この芸
あなたは本当に瞽女の芸が好きなのですか?
瞽女唄のどういう所にひかれているのですか?
何のためにやってみたいと思うのですか?
上の写真・初めての顔合わせの後の、 今日は本当に楽しかった、 自分だけではないと思うとすごく支えになる、 あの人のやったあの演目はいいですね 私も覚えたい・・
皆さんの声に、この日を実現できて本当によかったと思いました 皆さん、名も知れぬ生活者たちの芸としての瞽女唄 が好き、なんです
お稽古は本当に楽しいです 生徒さんより私の方が心待ちにしているくらいです 器用でもなく、体もあまり丈夫ではないので
生徒さんにも心配させたり迷惑をかけたりで申し訳ないのですが、 録音や印刷物を通してでは伝えられない、人から人へとつながる流れの中に自分がいるということは嬉しいことです
やってみたいという方、いつでも大歓迎です どうぞ気軽にお仲間になってください
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