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萱森様
真っ先に 「石堂丸」 の段ものを清聴いたしました 母はこの 「石堂丸」 で泣いていました
私の家に泊まったお春さんが碑の人と同一か否か、状況や資料等によりこの碑の瞽女さんかと思っていますが、今の私にとってそのことはもう関係ありません 少年時代の鮮烈な思い出だけで十分です
瞽女サが私の家に泊まった夜は、食事の後は、短い唄のあと、母は
「石堂丸」 を聞きます 意味のわからない私にとっては、かきならす三味線の重く低い哀しくなるような音色と、かすれていながら澄明な声にしばられていただけだと思います
耳に残って今でも思い出せる言葉は一言だけ、その節回しまで耳に残っています
CDの石堂丸が高野山行きの段でこの文言が出て、語りが理解できる今になって萱森さまの瞽女唄を聞き、素直に涙が出ました
夕食後の3〜4時間、それも昭和16〜18・9年頃までの3,4回とまられた夜だけのことです
明日からは60数年前に戻り、石地の海辺の家で聞く思いで童心に返ります
CD 「葛の葉」 の語り調子、節回しと、かすかな方言(越後訛り)、記憶の中の
「石堂丸」 がこんな調子でした 三味の調子も一緒です 夜、母子2人で聴いた記憶です この節回しで
「石堂丸」 があると嬉しいです
感激のあまり乱文乱筆お詫び申し上げます 重ねて御礼申し上げ、以降のCDの完成を心よりお待ちいたしております
一部要約しています 本当はもっと長いお手紙です 兄弟との別れや再会、お母様のこと・・・ 心うごかさずには読むことができませんでした
たびたびこのようなご感想をいただきます ごぜうたに自分の歴史を重ねてきいてくださる方がたくさんいらっしゃいます
CDを作るにあたっては迷いもありましたが、作ってよかった・・・今はそう思っています
ありのままのごぜうたを、変質させずに伝えることが必要なのだと感じます
お手紙中の 「石堂丸」 と 「葛の葉」 はCDではどちらも 「新津組の節回し」 で唄っているのですが、同じ 「新津組の節回し」 でも 多様に変化するため全ての演目を全ての皆さんの記憶にあるとおりに・・ということは不可能に近いというのが実情です
ご要望の多いものから、そして私の唄い手としての寿命が続く限り作っていきたいと思っています
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