越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子 

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高田瞽女 杉本シズさん・越後瞽女唄と津軽三味線

 

「越後瞽女」といっても ひととおりではありません
大きくわけて「長岡瞽女」 と 「高田瞽女」
師匠の小林ハルさんは長岡瞽女でした

高田の瞽女唄を伝授してくださった もう一人の師
それが杉本シズさんです

 


 
 刈羽ごぜ、三条ごぜ、山ごぜ、浜ごぜ・・・「ごぜ」にもたくさんのグループがあったのです

その双璧が「長岡」と「高田」
       単なる地図上の地域の違いにとどまらず、しきたりや組織のあり方なども
       それぞれに異なっていました

「唄」そのものも、驚くほど違います
たとえていうなら 演歌とポップス、という感じでしょうか
同じ名前のうたでも全然違ったり、ハルさんのレパートリーにはない演目も伝わっています

ですから私は小林ハルさんに弟子入りしたときから、「高田のうたもやってみたい」とずっと考えていました 小林ハルさんがお住まいだった胎内やすらぎの家には 高田ごぜの最後のお一人、杉本シズさんもおられたのです



でもそれはなかなか実現しませんでした  いくつか理由があります

  ひとつには、「小林ハルさんに弟子入りしたのに、ほかの人からも習いたいというのは
  ハルさんに失礼なのではないか」という私の思い。

  二つ目は、私自身の能力的な問題。ハルさんから教えていただくものも
  満足にできないのに無理なのではないか・・・

  さらに、杉本シズさんの御意思。シズさんは「もう教えるのなんていやだ。唄うのは
  いいけれど、録音なんかしないでね」とおっしゃっていたのです

 

 杉本シズさんのこと
 杉本シズさんのこと・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子 初めて杉本シズさんにお会いした日。
むかって右がシズさん、左がハルさんです。

ハルさんのもとでのお稽古に少しずつ形ができはじめたころのことです。 ハルさんが 
   
    「おまえはこれだけ歌えるようになったんだからシズのうたも覚えておけ。おまえがやらんでいるとシズの唄はなくなってしまうぞ」
   「シズには俺(自分)が言うてやる.お前ももういっぺん頼んでみろ」
        ・・といってくださったのです

はじめはしぶっていたシズさんですが、回を重ねるうちに
   「そこは もっとこういうふうに・・」
   「次はあの唄覚えるといいよ いい唄なんだよ」

などといってくださるようになりました

  「あんたの唄きいてると おかあさん(シズさんの師匠、杉本キクイさんのこと)のこと思い出す・・」  と涙ぐんでおられたことも何度かありました

そのような場面を思い出すたび、

  「ごぜうたはごぜさんたちのもの。お手軽な形だけの唄にしてしまってはならない。

ごぜさんの精神性が垣間見えるような唄でなくてはならない」・・との思いを深く持ちます


 

 2007年8月6日 上越市光明寺
 上越市光明寺・越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子 講演会や美術館の催しなどで  「長岡と高田のごぜうたの違いを学ぶ・ききくらべる・・」 

あるいは小林ハルさんの唄を聞いていただいた後で、ほんの少しだけ高田の唄をご紹介する・・

そのような機会は何度もありましたが、高田ごぜうたのふるさと上越市で地元のお集まりによせていただいたのはこれが初めてでした

メインの演目は「山椒大夫」・・長岡の(ハルさんの)レパートリーにはないお話、独特のセリフ部分がはいります
 
またすぐ近くにこの段ものの舞台である直江津港、そして安寿と厨子王の供養塔があります

 まさに「ご当地もの」の演目です

 

 
意外にもごぜうたは初めて、という方も多く、好評いただきました また次回を、とのお声を嬉しく思っています 

杉本シズさんは平成12年7月18日 84歳でお亡くなりになられました

 師と弟子、というにはあまりにも短く、はかないお付き合いでしたが、

「高田の唄、唄ってちょうだいねえ、私はもういかれないから、高田へ行ってちょうだいねえ」・・といっておられたシズさんを偲びつつ、大事に唄ってゆくつもりです


公演前におとずれた安寿厨子王の供養塔を「ごぜの写真とゆかりの地」のページで紹介していますす 光明寺さんの本当にすぐ近くでした
 

 

杉本家のお墓のこと
光明寺さまのご住職さまは大変暖かくもてなしてくださり、宗派も地区も異なっているにもかかわらず、杉本さんのお墓をともに探し道案内までしてくださいました

善念寺です (位牌とは別の寺にあったため尋ねあてられずにいました)

荒れ果てているのではないかと案じていましたが、そんなことはありませんでした

お経を上げていただいたお坊様におききしたところ「市川さんという方が時々お見えになる」とのことでした

市川信夫さん・・お父様の代からずっと杉本家と親しく、シズさんをも見守り続けてくださった方。

2007年に公開された映画「ふみ子の海」の原作者でもいらっしゃいます

以下はその後の市川さんからのお手紙(抜粋)です


「今年もお盆の13日に善念寺の杉本家のお墓にお参りして来ました わたしが夫婦二人で夕方お参りに行くと毎年決まってお花が上がっています どなたかお花を供えてくださるのか、瞽女に特別な想いのある方だと思っています

最後の越後瞽女といわれた小林ハルさんも亡くなって新潟から瞽女が消えてしまいました

あなたのいわれるようにごぜうたと一緒に瞽女の心も伝えていってください」



同じ新潟県でも上越は離れていてなかなか行くことができませんが、翌年の冬、テレビ番組収録のため再びここを訪れることができ、雪に埋もれたお墓を前に、思いを新たにしたのでした

安寿厨子王の供養塔・f越後瞽女唄と津軽三味線 瞽女唄伝承者 萱森直子

 

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